自主映画関係者が見る『見えないほどの遠くの空を』


ご無沙汰しております。焼ノ原渉外担当牧野です。
今回はちょっと映画の紹介を。紹介を、と言いつつネタバレしまくりながら書きますのでご了承を。

この『見えないほどの遠くの空を』という映画は、今年一般公開され、評判を聞いているとなかなかの高評価。
”会社勤めの映画プロデューサーであり脚本家であったが、映画が作りたいと一念発起し、会社をやめ自主制作で映画を作った”という触れ込みもあり、
また監督であり前述のエピソードの張本人である榎本憲男氏が、映画学校で脚本を教えたり、氏のTwitterで映画講座なるものをやっていたりとずっと気になっていました。

近日、あるめぐり合わせで作品を拝見できたのが、簡単にですが一自主映画人としてレビューしたいと思います。

まず簡単に映画の紹介を。主人公・賢は大学の映画研究部で自主映画の監督をしている。賢は自らが監督する映画の主演女優であるリサと、ラストシーンの最後のセリフについてもめていたが、ついに何の解決法も賢は示せぬまま、ラストシーンの撮影となるが、最後のワンカットを残すのみとなったところで、急に雨が降り出し撮影は中止になってしまう。その後のミーティングで、賢はりさに最後のセリフについて手紙を書くと伝え、その場は解散。しかしその晩、賢のところにリサが事故で死んだという知らせが入る。1年後、大学を卒業し、フリーで映像制作をするようになった賢は、道端でリサそっくりの女と出会う。すると、その女はリサの双子の妹だという。そして賢は、その双子の妹を代役にして、未完だった映画のラストシーンを撮影しようとするが。。。と、ざっとこんな内容です。

結論から言うと、この映画は映画作家個人の”映画”というものに対するラブレターです。劇中、賢はリサの妹と名乗る女に対して、当時リサに渡せなかった手紙を読み上げます。そして妹は言います、なんだそれってリサへのラブレターじゃん、と。ここで主人公・賢の変質的な自分の映画に対する愛が顕在化します。作品が頓挫してから一年後、リサに渡しそびれていた手紙を、偶然その妹と会った日に持っている、つまり、賢は一年間その手紙を肌身離さず持っていたことになります。しかも彼は、そこで当時の脚本すら妹に見せます。この自分の映画に対する偏愛! ちなみに3年後にも持ってます。

少し話を変えます。映画の現場に携わったことがある方なら、知っているとは思いますが、”映画の神様”というのが存在します。宗教的な響きですが、まぁある意味宗教かもしれません。映画の神様とは、例えば映画の撮影中に起こった偶発的な自然現象が、映像を素晴らしく魅力的なものにしてしまった時に、しばしば現場のスタッフがそう呼びます。他にもすごく芝居が良かったとか、天気に恵まれたとか、計画的でない人為的でない部分でいいことが起こるとそう呼ぶわけです。
この映画の主人公、賢にとって、突然目の前に現れたリサの妹は、まさしく可視化された映画の神様だったのでしょう。
果たしてこのリサの妹は幽霊だったわけですが、撮影は行われ、そこには”何も”映ってなかった事でしょう。見事に映画の神様にすっぽかされてしまったのですが、導かれ撮影を行ったことで、彼自身の中で一つの成長となったわけです。
こういうのも、自主映画を経験したことがある人ならば身につまされる思いかと思います。映画が撮影途中に頓挫しても、得るものはありますからね!(経験は語る!)

この映画のファーストカットは非常に映画的です。空の大写しから、カメラが下がっていき大きな木が映り、その下で会話をしている二人の人物が映る。するとカメラは二人から遠ざかっていき、撮影をしているスタッフが映る。これが映画のラストシーンなら大変なことです。感動したのに、ウソかよ!金返せ!状態なわけですが(ただし『ホーリーマウンテン』は除く)、しかし映画というのは常にフレームの外にたくさんのスタッフと、仕掛けがあります。映画の本質を問う、すばらしいファーストショットです。
そこで話を戻します。この映画のラストでは、なんと賢が本物のリサの妹に出会い、(かつては触れれなかった女の肩に触れる、なんてわかりやすいカットも。映画の神に触れたんでしょうか)、機3年間持ち続けた脚本を渡して映画が終わるのですが。そこでまさに「カメラ、引けー!」という叫び声(「カット!」でもいいです)があって、カメラがズームバックし、勝ち誇った顔の榎本監督の姿が見受けられるかとおもいきや、そこでスタッフロールが流れます。せっかくここまでウソで塗り固めたロマンティックでリアリティという一店の曇のない理想的な映画を作り上げたのに、創り上げたままで終わってしまった!

しかし、最後にリサノ本物の妹(=映画)の方に触れたという事は、会社勤めで20年間映画を作り続けていた榎本氏が、自分の作りたいものを作った、という高らかな勝利宣言であるのです。そしてこの映画が多くの人に知れ渡り、高評価を得ている。それだけで素晴らしいじゃないですか。こんな状況、2011年の前まではなかったことです。

そんな榎本監督が高らかに謳い上げた映画への愛を、ぜひスクリーンでご鑑賞してみてはいかがでしょうか。
神戸では現在公開中。京都でも11月中旬より公開です。
京都では、映画にちなんで”自主制作割引”なんて、誰が考えたか知らないが変な割引制度もあります。
自主映画の脚本を持って、映画館に人が並ぶなんて光景を、僕は見てみたいものです。